2009/05/26

作文おじいさん?

今日のお昼ごろ、自宅最寄の駅でボケーと電車を待っていると。
見ず知らずのおじいちゃんから声を掛けられた。
駅で誰かに声を掛けられるなんて、滅多にないので、一瞬ビクッとした。
おじいさんは僕にこう、声を掛けた。



「作文作ったので、暇なときにでも読んでみてください。」






内心、はい~?という感じだった。
なんだか、怪しい宗教の布教用の作文かと思ったが、中を開いたら、そういうことでもないらしい。
内容としては、自然と人のあり方と、生きるということについて書かれていた。最後には、おじいさんの名前も。「おじいさん!これじゃあ、せっかくみんなに配っても、感想とか聞けないよ?せめて、住所くらい書いといたら?」と僕が、アドバイスしようとしたら、いつの間にかおじいさんは随分遠いところへ・・・。いろんな人に配っているようでした。

おじいさんは純粋に自分の作文を読んで欲しかったのかな?
僕らの世代ならば、こうやって簡単に自分の作品や、意見やらを世界中に発信できるけど、おじいさんは一生懸命足を使って宣伝していた。まあ、どちらがいいとか、悪いとかそんなんじゃないけど、おじいさんにブログの書き方教えてあげたら、きっともっと楽しい生活が送れるんじゃないかな、とふと思ってしまった。



ほんと、大した紙でもないし、印刷も鮮明じゃないのだけれど、おじいさんの心がすごく篭っているということは、すごく伝わってきた。

2009/05/25

私たちの幸せな時間



原作:孔 枝泳
漫画:佐原 ミズ

失いたくないものが出来た―。
その分、恐ろしいと感じる事も増えた。


佐原ミズさんの独特のペンタッチに惹かれ、購入してしまった。とにかく、美しい。
描かれた体のバランスが絶妙で、実に私達側の構造に近いながらも、どこか抽象化された感を漂わせている。

以下は内容についての、もう少し詳しい話と、僕のコメントを・・・。



男は、過去に三人の命を無差別に奪ってしまった死刑囚。
女は、過去に三度もの自殺未遂を経験した元ピアニスト。
生きるこ事に不器用な二人が、逢って言葉を交わせるのは
“木曜の午前十時”、面会の限られた時間だけ。けれども、
やがて二人は切なる希望を心に抱く。「生きたい」と・・・・。
胸に迫る男女の愛をありのままに綴ったラブストーリー。


最近とらドラというアニメに嵌ってしまい、そこから、ラブストーリーがやけに気になり始めてきた。ロボット系のアニメばっかり見てきた自分がである。でも、とりあえず、主人公がハーレムでいちゃいちゃするようなものは、あまり好まず、人間臭いほうが、どうやら僕は好物のようだ。
この僕のクリティカルポイントを上手く、今回、この作品は突いてきた。というか、自分から突かれに行ったようなものなのだが。僕は、女の子に関しても、芸術作品に対しても、とかく一目惚れが多い。今回のこの「私たちの幸せの時間」でも基本的には絵に惹かれ買ったのだが、ストーリーも素晴らしいものだった。
最後まで、殺人を犯した男(佑)のことを、僕は許すことが出来なかったが、それは作品で読む上での重要な部分ではないことと思う。とにかく、キャラクター達が紡ぎ出す、ひとつひとつの言葉、表情が僕をこの作品に惹きこんでいった。必ずしも万人受けする、作品だとは言い難いが、ドラマにもなった作品である「銭ゲバ」を彷彿とさせるところがある。「銭ゲバ」まで追い詰められた空気感は、「私たちの幸せの時間」には漂っていないが、そちら側には明らかに方向が向いているように思われる。もしも、そういった空気感に抵抗を感じないのならば、是非読んでみる価値があるだろう。
しかし、ここで描かれるのは、100%のハッピーエンドではないことを注意しておかなくてはならないかもしれない(なぜ、100%といえないかは、作品を読んで頂ければわかるかと思う)。手を叩いて喜べるエンドではないが、この作品は、確実にあなたの心の中にも刻み込まれるはずである。そして、今後の自分の恋愛、果ては人生にも影響を及ぼしかねないと、僕は思う。





また、同漫画家原作である「マイガール」という作品も読んでいる途中なので、後々レビューを書くつもりである。


2009/05/10

相対性理論 -LOVEずっきゅん-



ハイパー中毒性

2009/05/07

Kindle DX

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/05/07/002/index.html



どうだろう。どこか、Macを彷彿とさせる・・・。これは、普及するのだろうか。
新製品を市場に投入するのは、米国の方が早いのだろうか。どうやらSONYも発売しているらしいが。一般向けよりも、教育現場や企業向けのプロダクトとする点、うまいかもしれない。

2009/05/02

グラン・トリノ-GRAN TORINO- 



「映画なんて、久しく観ていないな」という軽い気持ちで観に行ったのだが・・・。
アメリカ人の価値観ってこんなんだったっけと考えさせられてしまった。
以下は多少ネタばれ&感想を書き綴っておりますー。





僕はアメリカ人というのが、戦争好きで、この時代に至っても、戦勝の栄光にしがみついているのだろうと少なからず偏見を持っていた。僕は小学生くらいのとき、親父が観ていた戦争映画を一緒に観ていた。そこでは戦争は美しいものとして描かれていた。この経験が僕に曲がった価値観を植え付けていたのかもしれない。
しかし、このグラン・トリノはどうだろう。これは、監督であるイーストウッドの考え(または、脚本家か?)であり、アメリカ国民全体を示したものではないだろう。しかし、僕はグラン・トリノにすごく衝撃を覚えてしまった。ストーリーの詳細は長くなるので割愛させていただくが、簡単に説明すると以下のようなストーリーである。
当時、朝鮮戦争に狩り出されていたイーストウッド演じる男は、愛妻を亡くし、人間関係を自分で考え直さないとならない岐路に立たされる。しかし、戦争で人を殺した記憶に苛まれてか、男は、自分をうまく表現できない。そのせいか、家族や周りの人間から頑固ものと思われてしまう。彼には愛犬とグラン・トリノという愛車しか友達と呼べる友達がいなくなっていた。彼は間違いなく孤独であった。ある日、隣に朝鮮系の家族が引っ越してきた。彼はその朝鮮系の家族をイエローと呼んで、彼らが行う祭事をことごとく嫌った。しかし、ひょんなことから、彼らとの付き合いが始まる。初めこそ、彼らを避けていた男だったが、次第に彼らの文化に心を開いていく。そして、自分の価値観や、生と死についての考えを変えていくこととなる。しかし…。これ以上はネタばれになるため、止めておく。
彼が、朝鮮系の家族や周りの人間に理解を示していく過程が、とても人間臭く、美しかった。

イーストウッドも渋くてカッコよかった。
脚本は、「ミリオンダラー・ベイビー(2004)」で有名な、ニック・シェンクである。彼のインタビューも見つけたので、読んでみるといいかもしれない(http://variety.nikkei.co.jp/interview/2009/04/interview06-1.html)。



グラン・トリノ公式HP